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2007年 01月 21日
昨年末に灯り展を開催しました。高野豆腐伝承館の主人の松島さんに背中を押され、開催できたものです。すべて手作りで7灯り制作しました。表面の和紙に、山里の春夏秋冬を描いてみました。すべてお陰さまです。
行灯の灯りはとても柔らかでゆるやかです。とても恋しい色合いです。こんな色合いは現代生活の中で、いつの間にか捨て去られてきたやうな気がします。かつて道々の障子越しに見えるほのかな灯りに、その家々の平穏を想起したものでした。やはり灯りには和紙という仲介が必要なんだなぁと、改めて思ひました。 日本の情緒であり、そして空間を彩る無窮の精神安定剤のやうな行灯。その復活を願わずにはいられません。 ふるさとを聴く行灯の夜 崇藝庵 #
by suugeian18
| 2007-01-21 12:27
2006年 02月 28日
ここ数日温かかったのですが、また少し寒気が戻って来ました。しかしこの寒気は歓迎すべき寒気で、次第に春を連れてきてくれる寒気ですから、寒気というよりむしろ歓喜でしょう。早朝、隣家の屋根に陽が当たり雪が融けて湯気が立ちこめていました。陽と陰(火と水)の芸術です。火と水は空を生み出していました。まさに無一文中無尽蔵の世界でした。
水音にも春 崇藝庵 #
by suugeian18
| 2006-02-28 17:11
2005年 11月 14日
写真は、家の前の紅葉です。まことに深い色です。そしてまことに深い寒さになりました。気温もひと桁の前半です。十分な冬です。月も凍てついきました。秋の月より、色がより透明になってきています。それは単に色が薄くなっているというのではなく、冷たくなってよりクリアーになったというような表現が適切でしょう。今日からまた豆タンとのおつき合いが始まります。路面も霜が降りてきたので、冬用タイヤに替えました。雪も間近のようです。霜も雪も水分ですから、やはりタイヤも柔らかいほうがいいのでしょうね。相性とは不思議なものですね。
紅葉ふかくシンザン 崇藝庵 #
by suugeian18
| 2005-11-14 21:03
2005年 09月 12日
山並は季節に敏感ですね。さて気温も20度前後となり、十分な秋です。月が長い影を落とすその先には、様々な虫の音が秋の紅葉のように染みわたります。ここ万葉の地にいますと、万葉人もこの風情を愛で、その想いを多くの歌に託してきたか思うと感慨深いものがあります。平成人は万葉人に較べるべくもなく情報量の豊富さと早さを持ち合わせていますが、それは知識としての豊かさであり速さである故に、とても脆い感じがします。引き換え万葉人のそれは知情意に根ざした知恵の深さである故に、とても堅牢な感じが致します。ともすれば根こそぎ引き抜かれ流されてしまいそうな現代という激流。その流れに抗して棹さす勇気と根気が一方では必要ではないでしょうか。
目をさまし耳をすましてこほろぎ 崇藝庵 #
by suugeian18
| 2005-09-12 18:59
2005年 08月 24日
写真は種田山頭火が父親と一緒に営んでいた、酒造場です。束の間のユートピアだったのでしょうか。いまでは煙突のほかに語るものは何もありませんが、ひょいと出て来そうです、山頭火が。
ところで私の庵で毎日みかけた大きな蜂(2センチ位の背丈で小錦のように太っていた)がここ数日姿を見せない。この蜂は私が近付くといつも威嚇してきていた。正当防衛で対決してしまえばそれまでだったが、私はある実験を試みた。私の思いが蜂にどれだけ伝わるのだろうかと。私は蜂と友達になろうと思った。毎日好意をもちながら蜂に近付いて行くと、そのうち蜂は威嚇しなくなった。蜂は私の心を理解したかのように安心して、せっせと納屋の柱に穴をあけ巣作りに励んでいた。吉備砂糖のような色をした木粉が地面に積もっていった。毎日眺めているとそうでもないが、4、5日しばらく家を離れて帰ってみるとその厚みが増している事に驚愕する。穴の中をのぞいてみたかったが、なにか恐いものを見るような気がしてそれはやめた。その蜂がいなくなった。家の周囲に張り巡らされている蜘蛛の網にひかかったのだろうか、鳥の餌になったのだろうか、働き過ぎたのだろうか・・・色々頭を巡らせたが、戻ってこなかった。何故か人生にも似て、切なかった。 月光に虫の音冴えて 崇藝庵 #
by suugeian18
| 2005-08-24 00:30
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